
秋田県鹿角市・尾去沢鉱山──かつての銅山が“地下のテーマパーク”に
2025年8月13日
尾去沢鉱山とは──秋田が誇る近代鉱山の記憶
秋田県鹿角市の山あいに位置する「尾去沢鉱山(おさりざわこうざん)」は、かつて日本有数の銅山として栄えた場所です。奈良時代にその歴史を遡ることができ、江戸時代には佐竹藩の重要な財源として、明治以降は近代鉱業の一大拠点として注目を集めました。
現在では、坑道跡や産業遺構を活かした観光施設「マインランド尾去沢」が整備されており、過去の鉱山文化や採掘の技術を学べる場として多くの来訪者を迎えています。
約1300年の歴史──採掘と繁栄の変遷
奈良〜江戸時代:手掘りから始まった鉱山文化
尾去沢鉱山の始まりは約1300年前、奈良時代にまで遡ると言われています。手掘りでの金属採取が行われ、銅を中心に金・銀なども産出していた記録が残されています。江戸時代には佐竹藩によって管理され、藩財政の柱として重要視されました。
当時採取された金は、岩手県平泉市の中尊寺金色堂や、奈良の大仏にも使用されていると言われております。
明治以降の近代化と隆盛
明治政府は近代化政策の一環として、鉱山の近代化を推進。尾去沢鉱山もその波に乗り、1871年に民間払い下げされ、1881年には三菱に売却されました。これ以降、機械化・電化が進み、銅の大量生産が可能に。最盛期には年間で4,000トン以上の銅を産出するほどの規模となり、全国でも屈指の鉱山都市として発展を遂げました。
1978年、採掘の幕を閉じる
昭和後期、銅の価格下落と資源枯渇が進行し、1978年をもって尾去沢鉱山は閉山。長きにわたり地域経済を支えた鉱山は、静かにその歴史に幕を下ろしました。
産業遺産としての価値
尾去沢鉱山は、単なる「過去の産業」ではなく、現代に残る貴重な文化遺産です。総延長700kmとも言われる坑道網や、手掘り時代の跡、近代化の象徴である採鉱機械や送電設備などは、日本の近代化の歩みそのものを物語っています。
これらの構造物や資料は、現在のマインランド尾去沢にて一部保存・展示されており、「近代化産業遺産群」として文化的価値も高く評価されています。
観光スポット「マインランド尾去沢」
1982年に整備された「マインランド尾去沢」は、鉱山跡を観光施設として活用した代表的なスポットです。坑道内を歩いて巡れる「観光坑道」は全長1.7kmにも及び、当時の作業風景をリアルに再現した人形展示や、作業音を再現する音響設備が設置されています。
見どころ
- 観光坑道:実際の坑道を利用した展示。江戸・明治・昭和の3時代の採掘作業を体感。
- 鉱石ミュージアム:世界の鉱石を集めた展示や、鉱山の仕組みを学べる解説パネル。
- レストラン・ショップ:鉱山カレーや地元特産品を楽しめる飲食・物販施設も併設。
家族連れにもおすすめ
お子さまには砂金採り体験や、光る石を探す「探鉱体験」も人気。夏休みシーズンには自由研究にもぴったりの学習イベントも実施されており、家族で訪れるにも最適な場所です。
尾去沢鉱山と鹿角市のつながり
尾去沢鉱山があったからこそ、鹿角には交通インフラ・住環境・教育施設が整備され、発展の基盤となりました。花輪線の整備や、鉱山従業員向けの社宅群は、今も町並みの一部としてその名残をとどめています。
鉱山の閉山後も、観光資源として再生されたこの地は、鹿角市が持つ「歴史×産業×教育」の強みを象徴する場所でもあります。
アクセス・基本情報
- 所在地:秋田県鹿角市尾去沢字獅子沢13-5
- 営業時間:9:00〜17:00(最終入場16:00)
- 休館日:12月〜3月は冬季休業、詳細は公式サイトで要確認
- アクセス:東北道「鹿角八幡平IC」から車で約10分、JR花輪線「鹿角花輪駅」からタクシーで約15分
- 公式サイト:https://osarizawa.jp/
2026年3月以降は一般開放がなくなり、社会科見学施設としての運営になるというお知らせが公式サイトより発表されています。私も昨日行ってきましたが、とても素晴らしい施設であったため、今後通常の観光でみられなくなることはとても残念に思います、、、
まとめ──鉱山の記憶が地域の未来につながる
尾去沢鉱山は、単なる産業施設ではなく、地域の記憶そのものであり、今も鹿角の文化や人々の営みに深く根付いています。マインランド尾去沢を訪れれば、当時の暮らしや技術に触れると同時に、地域の歴史と未来へのつながりを感じることができるでしょう。
秋田県鹿角市を訪れる際は、ぜひこの産業遺産の地に足を運び、1300年の歴史と向き合ってみてはいかがでしょうか。
※本記事は、地域イベント「しごとーーい かづの」の関連情報として、鹿角の地元資源を紹介するコラムの一環として掲載しています。