
秋田の鉄道遺産としての花輪線|まちと鉄道の記憶をたどる
2025年7月27日
かつて「鉱山のまち」を走った鉄路
秋田県鹿角市を通るJR花輪線は、岩手県の好摩駅から秋田県大館駅までを結ぶ全長106.9kmのローカル路線です。山間部を縫うように走るその姿は、東北地方ならではの風情を感じさせますが、実はこの鉄道には、かつての産業を支えた歴史的背景が色濃く残されています。
1922年、当時の陸中花輪駅(現在の鹿角花輪駅)を起点として建設が始まり、主な目的は小坂鉱山からの鉱石や木材の輸送でした。小坂鉱山といえば、かつて日本有数の産出量を誇った銅・鉛・亜鉛の産地であり、花輪線はその資源を内陸部へ運び出す“命綱”として整備されたのです。線路の延伸とともに、鉱山労働者や地元住民の足としても活用され、まさに地域産業と一体となって発展してきました。
鹿角花輪駅の記憶と変化
鹿角市の中心に位置する鹿角花輪駅は、花輪線の中でも特に歴史的な存在感を持つ駅のひとつです。かつては駅前に旅館や商店が立ち並び、出稼ぎや修学旅行の出発点として大勢の人でにぎわっていました。構内には広い貨物ヤードがあり、鉱山物資や木材の積み出しが日常的に行われていた光景は、今や市民の記憶の中に生きています。
現在では貨物輸送は廃止され、駅舎もコンパクトに改築されましたが、待合室のベンチやホームの案内板には、どこか懐かしい空気が漂います。鉄道好きの間では「ノスタルジーの駅」としても知られ、昭和の風景を感じられるスポットとして再評価されています。
橋梁・トンネル・鉄道遺構──産業の痕跡をたどる
花輪線の魅力は、沿線の風景だけでなく、点在する鉄道遺構にもあります。とりわけ注目されるのは、戦前の建築技術を感じさせる石積みの橋梁や、素掘りトンネルです。米内沢~大館間には、アーチ型の橋脚やレンガ積みの壁面が今も残っており、鉄道ファンや建築史の研究者からも評価を集めています。
また、花輪線の一部区間には、旧線路敷の痕跡や、使われなくなった信号所、貨物側線跡なども確認できます。地域住民にとっては見慣れた風景であっても、全国的に見れば貴重な産業遺産のひとつ。廃線跡巡りの観点からも、じわじわと人気が高まりつつあります。
“赤字ローカル線”という課題と、その先にある価値
一方で、花輪線を取り巻く状況は決して楽観視できるものではありません。地方鉄道の多くが直面しているように、人口減少やマイカー移動の浸透により、花輪線の利用者数も年々減少傾向にあります。国土交通省やJR東日本からは、輸送密度の低さを理由とした存廃の議論がたびたび持ち上がり、地域の不安材料ともなっています。
しかし、ただの「赤字路線」として切り捨てるには惜しい価値が、花輪線には確かに存在します。たとえば、駅舎を活用した地域ギャラリーや、鉄道をテーマにしたワークショップの開催など、“乗るためだけの鉄道”から“地域資源としての鉄道”へと活用の幅を広げる取り組みも進みつつあります。
「鉄道とまち」をつなぐ、これからの花輪線
花輪線がローカル線として生き残っていくためには、単なる移動手段以上の価値を見出すことが必要です。鹿角市では、駅を起点としたまち歩きイベントや、地元の小学生が路線図を描くワークショップなど、“鉄道×教育”や“鉄道×観光”といった新たなコラボレーションが模索されています。
また、冬季には雪化粧をまとった山々を背景にした絶景列車としての魅力、春や秋にはカメラを片手に訪れる観光客の姿も見られるようになってきました。こうした積み重ねが、花輪線をただの“移動のための線路”ではなく、“地域を体感するための道”へと変えていくのです。
鉄道遺産として、未来へつなぐ
鉄道は、時代とともに形を変えながらも、その路線に込められた記憶や文化を運び続けています。花輪線もまた、鹿角市という地域の歴史や暮らしを語る“語り部”であり、未来の世代へと引き継ぐべき鉄道遺産です。
かつて鉱山の町を走り、今は静かに四季の風景を運ぶ花輪線。地域に寄り添いながら走るその姿に、私たちは何を見出すのか──。その答えを探す旅は、列車の車窓から始まっているのかもしれません。
※本記事は、地域イベント「しごとーーい かづの」の関連情報として、鹿角の地元資源を紹介するコラムの一環として掲載しています。