
“山の神様”に守られる里――大日堂舞楽と花輪ばやし、ふたつのユネスコ無形遺産
2025年8月18日
秋田県鹿角市──この地には、国際的にも認められたふたつのユネスコ無形文化遺産が息づいています。それが、大日堂舞楽と花輪ばやし。いずれも外から見れば「祭り」「舞」かもしれませんが、その根底には、土地に生きる人々の信仰と誇り、そして日々の暮らしと密接に結びついた精神性があります。
本記事では、北東北の山間にある鹿角市で脈々と受け継がれてきたこれらの芸能の成り立ちや魅力を掘り下げ、「なぜこの地域で守り続けられているのか」を紐解きます。
神とともに生きる暮らし──鹿角に伝わる“祈りと芸能”
日本各地に存在する伝統芸能の多くは、ただの娯楽ではありません。とりわけ東北地方では、自然とともに生きる中で生まれた山岳信仰や農耕儀礼と深く結びつき、地域の生活と切っても切り離せない役割を担ってきました。
鹿角も例外ではなく、山の神・自然の神々への祈りを軸に、日常と神事が地続きになった文化圏です。このような背景の中から、大日堂舞楽と花輪ばやしは生まれ、いまなお地域住民によって支えられています。
大日堂舞楽──厳冬の祈りが宿る荘厳な舞
大日堂舞楽は、毎年1月2日に行われる新年の神事で、大日霊貴神社(八幡平地区)を舞台に披露されます。起源は古く、奈良時代から平安時代にかけての山岳信仰にさかのぼり、修験者や山伏たちが神への奉納として舞ったものが原型とされています。
舞楽というと宮中の優雅な舞を想像される方もいるかもしれませんが、大日堂舞楽はその印象とは一線を画します。力強く、重厚で、静謐。山の神と向き合う厳粛さが、舞の一挙手一投足から伝わってくるのです。
舞は全部で8演目。なかでも「田楽」「鳥舞」「竜頭舞」などは、その動きや装束、仮面の造形に古来の祈りと伝承の意志が込められており、鑑賞というより“体感”するものに近いとも言われます。
この舞楽は2011年、「米川の水かぶり」(宮城)などとともにユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」のひとつに登録されました。
花輪ばやし──町全体が舞台になる真夏の祭礼
一方の花輪ばやしは、毎年8月19・20日に花輪地区で開催される祭りで、町の中心部にある「幸稲荷神社」への奉納行事として行われます。最大の特徴は、絢爛豪華な屋台(やたい)の存在と、町中に鳴り響く囃子の音色です。
10台の屋台が、揃いの法被に身を包んだ若者たちに引かれて町を練り歩き、交差点ごとに行われる「競演」では、太鼓や笛の掛け合いが観衆を魅了します。
祭りは、花輪の住民にとって単なる観光行事ではなく、地域コミュニティの絆を確認し、世代を超えた参加によって継承される生活文化そのものです。各町内会は、屋台の保守や囃子の練習などを通じて1年を通じて準備を重ねており、この継続性が文化としての深みを支えています。
花輪ばやしは、2016年に「山・鉾・屋台行事」の一部としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
ふたつの遺産が語るもの──土地に根ざした祈りと誇り
このように、大日堂舞楽と花輪ばやしは、起源も様式も異なります。しかし共通しているのは、どちらも“神に捧げる”という精神性を土台にしていること、そしてそれを支えているのが地元の人々であるという点です。
ユネスコが評価したのは、表面的な華やかさや歴史の長さだけではありません。これらの行事が、地域の人々の暮らしと一体となって現代にまで受け継がれているという“生きた文化”であることに重きが置かれています。
今、伝統行事の担い手不足や過疎化が進む中で、これらの祭りは「地域が一丸となって守るべき宝」として再評価されつつあります。観光資源としてだけでなく、地域のアイデンティティを再確認する機会としての意味もあるのです。
おわりに──鹿角から、未来へつなぐ文化の灯
秋田県鹿角市は、決して交通の便が良い場所とは言えません。しかし、だからこそ残されたものがあり、守られてきた文化があります。
大日堂舞楽と花輪ばやしというふたつの無形遺産は、単なる「古いもの」ではなく、現代に問いを投げかける“今なお息づく芸能”です。
これらに触れることで、地域の人々がどのように自然と向き合い、神と共に暮らし、誇りを持って文化を守ってきたかを感じていただければ幸いです。
※本記事は、地域イベント「しごとーーい かづの」の関連情報として、鹿角の地元資源を紹介するコラムの一環として掲載しています。